彼は死の淵に立ったとき、何を想い何を選択し何を決断して、その一歩を踏み出したのだろうか。残された私たちは彼の前にあった道標を一つ一つ拾い上げて、その想いを確認するしかないだろう。
2023年5月19日9時22分、私にとって家族同然の同士「家守秀明(ヒデ)」は旅立ちました。
5月14日戸田スポセンでのバレーボールの試合の後に倒れ病院に緊急搬送された結果の診断は、くも膜下出血。
最初は意識があり、全身麻酔をしてから翌日の手術に備えましたが、深夜に容態が急変しました。遠方のご家族との面会にそなえ延命処置を施しながら、最後の時を迎えることとなりました。
親族のご意向で家族葬とし、19日・20日の限られた時間内で、極々親しい方への「本人にお会い頂く場」を設けました。それでも、元蕨町会の方々、バレーボール関係の方々をはじめ、家守秀明と深いご縁のあった多くの方々に来場頂いたこと、心より感謝申し上げます。口コミのみで、これだけの人脈があるヒデに対し、改めて驚異と敬意と損失の大きさを認識しております。
なお、最後の瞬間を迎えてから二日間降り続いた涙雨が、奇しくも、面会最終時刻の17時にやみました。本人も皆様とお会いできて気持ちの整理ができたのではないかと感じております。そして、昨日21日13時30分荼毘に付されました。
家守秀明が行ってきた町会・学校・バレーボール関係における多くの活動を考えますと、もっともっとたくさんの方にこのことをお伝えしなくてはいけないと思う中、ここで、後日に改めて「お別れの会」を実施する予定であることを報告いたします。
まだ、計画の端緒についたところではありますが、必ずご連絡差し上げますので少々お待ちいただければ幸いです。
今日からの私たちの生活に、これまでとは違った大きな何かが足りなくなるのが、事実であり不安です。
しかしながら、私たちでそれを少しずつ補い、助け合い、そして新しい何かを造っていかなくてはなりません。
家守秀明がこれほど多くの方とご縁があり、共に支え合ってきたことに驚嘆すると同時に、今度はそれを私たちの支えとして、彼の意思を引き継ぎ、私たちの街をコミュニティーをバレーボールを盛り上げていかなくてはならない、、、と改めて感じています。
どうか、家守秀明の関わってきた全てのことへの引き続きのご支援ご協力はもちろんのこと、残されたご家族への絶大なるフォローを切にお願い申し上げます。
2023年5月22日 野澤茂雅 拝